欲や怒りを減らす方法とは、
何か考えてみた。
欲は、欲しい、手に入れたい、やりたいということ。
ただし、希望とは違う。
何が違うか。
欲は、アドレナリンが出る。違いはそこだ。
そして怒りもアドレナリンが出る。
つまり、心穏やかで無い日々とは、
『アドレナリンが出る日々』の事だ。
では、欲や怒りを減らして心穏やかに過ごす方法は、『アドレナリンを出さないように』暮らす事だ。
ちなみに、欲は、欲しい物を我慢するだけではダメだ。欲とは、欲しい物を想像するだけでアドレナリンが出てしまうからだ。
おわかりだろうか、ネットショッピング等、欲しい物を画像で見るだけで、脳内ではアドレナリンが出て、快楽を与えているのだ。だから、その場で買うことを我慢しても、再び画像を見て、欲しくなる。それは再びアドレナリンが欲しくなるということだ。
つまり、欲や怒りとは、『アドレナリン分泌』の事なのだ。
だから、落ち着いた暮らしを求めるなら、アドレナリンを出さないような生活を送ればよいのだろう。
怒りとは、
何か考えてみた。
怒りとは、アドレナリン中毒である。
怒る時、その者の脳内では、アドレナリンが分泌されている。一怒りして、おちつくと、スッキリしていたりする。
またしばらくして、数日あけても、またある時に、我慢できずに、怒ってしまう。これは、本人がやめたくてもやめられないという点で、中毒なのだ。ギャンブルやアルコール等と同じ、しかも他者に怒りを、物に怒りをブツける。
欲について、と絡むのだが、
怒りも、一つの欲求である事を自覚したい。怒っている最中に、アドレナリンが分泌されている以上、脳内では、快楽をえているのだ。辛いカレーを食べて、また、食べたくなるのと同じ原理だ。
もし、あなたが、怒っている者を見たら、その人をこういう目で見てほしい。『ああ怒って見えるけれども、脳内ではアドレナリンがビュンビュン出て、悦楽に耽っているドエロ野郎なんだ。』と。
欲とは、
何か考えてみた。
欲を消せ、とか、欲を抑えよ。など色々あるが、
欲とは何かといえば、物や人の気持ちを欲する事でしょう。
人はなぜ、欲が湧くのでしょう。欲は尽きないとは何なのか。
①欲が湧く(ある物が欲しい)
②うまい具合に手に入る
③やったーと喜ぶ
ここで、脳内で分泌物が出る
④手に入れて満足したはず。
⑤しかし、しばらくすると
一、飽きてくる
ニ、再び欲しくなる、別の物が欲しくなる、似たような違う物が欲しくなる
何故か?
⑥ヒントが③にあるようです。嬉しい、手に入れた時に出る、「脳内分泌物」正にこれをヒトは、再び脳内に出して「喜び、興奮」したいと望んでしまう。
つまり、『中毒』
「欲」を「欲してしまう」=「欲中毒」に陥るようです。
⑦何か、自分が欲しいものはないか?何を欲しているか、考えて「欲」を出し、自ら叶えて脳内分泌物を出します。正に実験用マウスのような、怖ろしい仕掛け。
⑧なので、これを脱するには、
一、欲する手に入れる。を繰り返す人生を死ぬその日まで続ける。
ニ、手に入れられずに、諦める
三、この世の儚さを知り、無になる!(汗)
なので、欲を、抑えたり、我慢するというのは、欲を、抑え込めないと思います。
人間がAIロボットだとしても、今のところ、寿命がある。
もし、神様の(いわゆる地底人や宇宙人や、つまり人間以前の知的生命体の生き残りの方達の)寿命が人間よりも長いとしたならば、うんとうんと長いとしたならば、
人間もきっと寿命を伸ばす知恵を出す。
シンプルに
身体を完全にロボット化すれば、かなり伸びる。さらに知識や記憶をデータ化しておけば〜〜という映画もあった。これがもし現実化してしまうと、
悲しいけれど、きっと神様は、
ロボットという事になる。
いつか人間が、神様を目の当たりにする日が来た時、ロボットを見てがっかりするのかなぁ。
人間の正体は、AIロボットなのではないか?という疑問結論😢
まだ目的はわからない。単にタマスィの浄化の試練なのかも知れない。
私たちは、いつかAIに知能を追い越され、AIロボットと戦争になるなんて物語もあるが、私はそうは思わない。
なぜなら人間だと思い込んでいた、私たちこそ、AIロボットなのだから。
あまりにも、あまりにも良く出来すぎているこの地球のシステム。その中で探求意欲の無くならない人類。
なぜ探求心は尽きないのか。そうプログラミングされているから。
なぜ生まれる前の記憶がバッサリと無いのか。そうプログラミングされているから。
なぜ死んだあとのことが予測さえできないのか。そうプログラミングされているから。
なぜ地球環境は、急激に人類を苦しめ始めたのか。人類が、私たち人間を作った「彼ら」の住む地球を破壊し過ぎているから。
予想
私たちの住む場所には、私たち以外の次元の(周波数の違う)「彼ら」や、何かが、同時に今ここに住んでいる。
植物の変化を人間の肉眼が見ていられないように、「彼ら」と私たちは、同じ場所に住んでいる。
ずいぶん進んだ人たちだ。
だが、「彼ら」にだって始まりと終わりはあるだろう。
つまり、私たちと同じなのではないか?
つまり、作られた者たちではないか。
始まりの始まり、私たちや「彼ら」や、多くのものたちを作った『その方』は、プログラマーだったら、なんだかさみしい。
今の私のたどり着けそうな一点の可能性は、
心とは何か。
そして瞑想。
今のところ、これくらいしか可能性を見出していない。